その人の言葉で

ネットが広く一般に知られ日常的に利用される場となったことで、そこには巨大な資本が投入され、ありとあらゆるところに広告が張り巡らされるようになりました。それと共に「PVを稼げる文法」というのがいつの間にか特定のフォーマットとして定着し、単語を入れ替えて当てはめるだけの記事が膨大に粗製乱造されていきました。おそらく業者が単価数百円でバイトに書かせているのでしょう。

ここで言う「フォーマット」として典型的なのは、行間を無駄に空ける・罫線の枠内で箇条書き・一文を短く区切るといった「やたらスクロールを強いる割に情報量が少ない」という性質があります。現在ネット上ではSEO対策を入念に設定されたこのような記事が検索上位を独占するので、各分野で「個人の生の声」とでも言うべき情報が掻き消されているのです。

こうした流れは、業者だけでなく個人による発信においても同様に広がっている印象です。そして何より私が一番問題だと思っているのは・・・「詠み手の側が長文を受け付けなくなっている」ことに尽きます。近年のSNSの発達は、文章を細切れに短くさせ、さらには文章そのものの比重が下がっていきました。(Instagram等が典型でしょう)

一見それらはおしゃれには見えますが、何かそこからは「人間臭さ」というものが極度に取り除かれてしまったように、私には感じるのですが。

 

オーディオは一人で完結できる趣味の中でも、特に他者への伝達が難しいものと言えます。写真が趣味であればSNS上でも簡単に共有ができますが、オーディオは「今、自分が聴いている音」を共有するには、スピーカーオーディオであれば相手を自宅に招く必要があり、ポータブルオーディオにおいてもどこかで待ち合わせるなりする必要があるでしょう。*ここでは「空気録音」という選択肢は除外したいと思います。

では音質を言葉で表現しようと考えると、これまた実は難しいものです。端的に性能の大小を比較する際によく用いられる文法は多々ありますが、しかしそれは本当に「自分の言葉」として出てきたものでしょうか。もっと踏み込んだことを言ってしまえば、我々オーディオマニアが他者の記事を読むとき、そこに密かに期待しているのは「その先の次元」にある何かではないでしょうか。

例え最終的な出口(スピーカー・ヘッドホン・イヤホン)で同じ機種を使っていたとしても、そこに至るまでトータルの環境(部屋や電源環境を含め)は皆それぞれ違うものだし、「良い音」だと感じる音の傾向やその「スイートスポット」も微妙に異なるわけですから、本来は他者の記事をそのまま受け取ることはできないはずです。ここで、その記事を書かれた人の過去の記述を遡り、総合的にその方の好みの音の傾向や範囲といったものを類推し、自分のものとして受け取る場合には逆算してある程度の「補正」を掛けていく作業が必要になります。

おそらく、ネットを活用しながらオーディオ趣味を続けている方は、意識の程度はあるにせよ、何となくこのようなことを日常的に行っているのではないのかな、と私は思っているわけですが。そしてここから先は私含めて少数派かもしれませんが、「オーディオを通じてその人の物の見方であったり、様々な知見を知りたい」のです。これは一種のファン心理に近いものであり、こうした対象として特定の人物をwatchするようになるには長い期間を要します。稀に2、3の記事を読むだけで引き寄せられる魅力を発している方もいますけど。