夏は閑話休題(2)

 思いがけず伸びたtweetです。私がオーディオに興味を持ち始めた10年前の時点で、既にこの徴候は現れていたように思います。90年代の「同程度の物量投入」された製品と比較すると現在は2倍以上の価格設定ではないでしょうか。

アナログ領域で担当させていたことを今ではデジタルに置き換える傾向が強くなりました。部品点数は減少し、シャーシ内で適度に空間を設けながら配置するのが現在のトレンドのようです。重量も軽くなり内部はスカスカに見えるので、以前の価値観だと価格と内実が伴っていないという声もよく耳にします。

さらに中国メーカーの台頭によって、価格が10倍以上の数百万円クラスのハイエンド製品を「測定値の項目では」超える製品が続々と出てきました。もちろん既存の測定で測れる領域と実際の出音における「高音質」については相関しない部分もあり、また測定において取り零されている領域もまだまだ多くあります。

それでもオーディオにはユーザーによる「組み合わせの妙」が残されており、基礎性能の高い製品と「ちょっとした味付け」をブレンドすることで、「ハイエンド風味」な音を作り出すことは十分可能です。これはケーブル1本を変えるだけでも効果は現れます。そのケーブルも、10年前の旧モデルを中古で安く入手することができます。(真贋の見極めは必要)

 

コロナ禍をきっかけに、資産を大きく増やした層というのが少数ですが確実に存在します。世界全体で見れば資産は消滅したのではなく「移転」したのです。そして富裕層の中では「金余り」が起こっています。富裕層向けのハイエンドオーディオ市場は、実は小さなバブルが発生している傾向が見られます。おそらく今後もハイエンドの製品価格は上昇し続けるでしょう。

それでも、私は健全な市場の在り方としては「手を伸ばせば届く」程度の価格設定に留めるべきだと思っています。組み合わせの妙による「ハイエンド風味」な音でも、それなりに高い満足感を得る方法もありますが、一部のハイエンド製品には「強力なエネルギーによる一点突破」という要素が、出音における大きな満足感の大部分を占めているということが往々にしてあります。それはハイパワー・大出力といった意味だけではなくて、現状の測定値では全く気付かれない観点の「何か」が確実にあり、作り手はそれを捉えて表現することに特化した製品です。そうしたモノが多くの人の体験する機会に巡り合えないというのは、少々寂しいと思うのです。