銅版画やボックスアートの世界で活躍されるヱリスさん。
2月に開かれた個展を訪れて以来、すっかりファンになりました。
ヱリスさんも、実は私と同じく「ロリィタノィロォゼ」りみゆさんのファンであり、過去にアルバムのジャケットを描かれたこともあります。(lilin・lilie)
ec.toranoana.jp*再販リクエストはあるものの在庫切れのようですね・・・
2月の個展と同じ会場ギャラリーhanaにて、6/21現在グループ展が開催されています。
ヱリスさんとお会いするときは・・・えーと毎回りみゆさんの尊さを語り合っておりますね(
そのお話を展開してもいいのですが本題とはズレますのでまた次の機会にします(
ようやく今回記事のタイトルについて触れます。「顔」について。
(Lilieのジャケットデザインは例外として)ヱリスさんの作品の特徴のひとつに「目を描かない」ことが挙げられますが、今日はそれについて考えてみようかなと。
衣装やアクセサリーやお花、髪の描写の精密さ、絢爛さに圧倒されますが、あえて重要そうな情報に感じられる「目」を描かないことの対比。「顔」も、キャンパス周辺の描き込みよりは幾分シンプルな印象があります。
私なりの解釈としては、描くことは「固定化されたもの」として、変わらないものとして捉えることではないかと。
ヱリスさんが私の隣で作品について解説されているときに印象に残ったフレーズを挙げると
「人の二面性」
「知らない自己の一面」等でしょうか。
顔を、目を注力的に描くということは、自己存在を細部に渡って、このような人物でありそれが変わることがないものとして主張する。ヱリスさんの世界認識というのは、そうではなくて顔は自分の周りにあるものに呼応して自在に変化するものであり、そしてその瞬間の表情は「自分にもわからない」ということではないでしょうか。
鏡を見れば分かるという意味ではないです。「他者の認識それ自体を私の認識として捉えることはできない」ということ。
少し視点を変えて次回記事に続きます。