FOCAL UTOPIA SG 【Review】

PASS HPA-1 | FOCAL UTOPIA SG
ヘッドホンとしてのレビューが、まるで書けない

冒頭からタイトルと矛盾していますが。この記事に着手しようと考え始めてから1カ月、全く本文が思い浮かばず、間に何本もの記事を挟んで時間稼ぎをしていました。それでも現時点で何から書き始めて良いのかさっぱりです。

今まで所有してきたヘッドホンでは間違いなく最高の音が出ていてfinal D8000シリーズよりも総合的に数段上です。ならばいくらでも良い点をレビューとして書けるのではないか?と普通は思うでしょう。私も「UTOPIA SGを買った直後は」そう思っていました。

ところが、聴けば聴くほど「何も書けない」という袋小路に陥ってしまうのです。

従来型のヘッドホンレビューで典型的な形式
  • 低・中・高域の帯域バランス
  • 質感(硬い・柔らかい・ザラつく・滑らか etc.)
  • 解像度や音の分離
  • 空間表現(広い⇔狭い)
  • 音場感(見通しが良い⇔曇っている)

一昔前の、今ほどハイエンド価格帯が各社揃っていなかったような時代なら、主にこのような感じではなかったでしょうか。一言に「帯域バランス」と書きましたが表現は色々あります。

ex. 低域の量感が多く、ボンボンと弾む ⇔ 量は控えめで、硬く締まっている

ヘッドホンと周辺機器の高性能化により、レビューに新たな視点が

その後ヘッドホンオーディオが進化していく過程で、近年は「環境追従性」という項目が注目されるようになりました。ヘッドホンの高性能化は、接続するヘッドホンアンプの高性能化・高出力化を促す流れとなり、巷のレビューは「アンプとヘッドホン双方の実力や特色を引き出せているか」という視点に徐々に移行する様が見られます。

この流れは、一部のマニアでは更にシステムの上流(DACやトランスポート)にまで波及し、それに接続するケーブルや電源環境にまで意識が張り巡らされるのです。そうしたトータルのコーディネートを整えていくことは趣味性もあってもちろん楽しいのですが、一方では出口のヘッドホン単体についてレビューするという行為から視点が離れていくことになるのです。

私自身も、5年前にfinal D8000を購入したあたりからその兆候が徐々に始まっていました。昨年にD8000 Proへ移行した時点でその状況は相当に進行していたものの、ブログにヘッドホンとしてのレビュー自体が一応は記述することが出来たのは、D8000という比較対象が存在していた要因が大きいです。

yuki3.hatenablog.jp

UTOPIA SGを導入、そしてヘッドホン自体への意識が消えた

今、私はこの地点にいます。ヘッドホンのレビュー文を練ろうとすると、いつの間にかシステム全体の出音に対する意識へとスライドしてしまうのです。そして、よりシステムの上流側に比重を置くようになっています。トランスポート用途として FiiO R9を選定したことも、それを後押しする形に。

これは環境追従性が他のヘッドホンよりも数段優れていることも要因に挙げられますが、UTOPIA SGの音に「違和感がない」ことが最も重要な点だと考えています。

一応注釈としては、NOCTURNEケーブルを含めてシステム全体で私の肌感覚に合う色温度へ寄せてはいます。その手入れを済ませた上での出音が「高レベルで全ての要素に違和感がない」のです。

「環境追従性」は確かに優れているが・・・

では先に述べたように「環境追従性」の部分にフォーカスすれば良いのでは?とも思いました。確かにこの点は非常に優秀で、D8000シリーズよりも数段上のレベルにあると感じます。

この記事で私が示すところの「追従性」とは、ヘッドホン自体を意識するというよりは、それより前段にある各機器(HPA・DAC・Transport)の特色を引き出せているか、という視点にウェイトを置いています。CHORDやPASSらしい音がD8000 Proを使っていた頃よりUTOPIA SGの方が出ていますし、トランスポート用途としてFiiO R9を導入したことでSNの改善をより顕著に感じられるといった具合に。

それでも、「環境追従性」がUTOPIA SGのレビューで中心的なテーマにはなり得ないなと私は思っていて。

演奏のニュアンスと音楽性が、何よりも先に心に伝わってくる

先に述べたように「環境追従性」とは、ヘッドホン自体と前段の各機器の性能や特色をより引き出すという意味合いを想定しています。これはある意味「オーディオ的な楽しみ」の範疇にあるものです。

(*本来は不可分な対象であることは承知しているのですが、あえて単純化しています)

UTOPIA SGを聴いていて感じるのは、こうした環境追従性について流石だな、と認識するよりも前に、演奏のニュアンスや楽曲の音楽性の豊かさがD8000 Proとは比較にならないほど伝わってくるので、もはや「機材がどうのこうの・・・」という考えが消し飛んでしまうのです。

ずっと「ヘッドホンレビュー的な文章」が書けなくて自分でも困惑していたのですが、ここまで書き出してみてようやく全てが繋がった気がします。

UTOPIA SGの「特徴」

この流れで記事を終わらせてしまっては購入を検討されている方にとってはあまりにも実用的ではないので、断片的ですがもう少し続けてみます。

  • 立体的な定位
    特に中央に位置する音の微妙な位置関係が、三次元的に把握しやすい。
    (もちろん、安易なサラウンド空間のように凹んだりはしていない)

  • 間接的な響き成分が一般的なヘッドホンよりも多い
    先の定位感を総合すると、スピーカーオーディオ勢がヘッドホンを兼用する場合にUTOPIA SGで違和感が少ないと評する方がおられるのも納得感があります。
    (もちろん、直接音の解像度や分離性能も高いレベルにある)

  • 録音の年代相応な粗の描写はシビアな面がある
    「音」だけで言えばD8000 Proよりもシビアな描写はします。
    ここで重要な点は、UTOPIA SGは録音の粗に関係なく、演奏の機微や楽曲の音楽性についても十分に保全してくれるので、「その力だけで」D8000 Proよりも古い音源がUTOPIA SGでは楽しめるようになったということ。
    これについては、聴き方のスイッチの切り替えが必要な場合があります。私も購入後7日を過ぎるまでは「最新録音の音質は凄いけど、古い録音はちょっと・・・」という印象だったのですが、ある日突然80年代の録音が楽しく聴けるようになり、そして今では(手持ちの音源の数は少ないのですが)50年代、60年代の古い録音でさえ全く問題なく聴けるようになっています。これはD8000シリーズを使っていた頃はありえなかったことで、ずっと死蔵していたライブラリの一部が復活を遂げたのです。